見守る保育の「見る」とは
子どもを「見る」とはどういうことでしょうか。
日本語の「みる」という 言葉の意味は実に多様です。
ひとりひとりの子どもと丁寧にかかわり、子どもと一緒になってあそび、一生懸命に子どもの面倒を見る――これまではそういう人がいい保育者だと考えられてきました。
でもそれは、本当に子どもを見ていることになるのでしょうか。
子どもの発達にとって、よいことなのでしょうか。
子どもが泣いて訴える前に駆けつけて問題が起きる前に解決したり、 トイレで失敗をしないように時間になったらきちんとトイレに連れていく。
そうしていつも子どもが快適に過ごせるようにすることは、実は 「子どもをよく見ている」のではなく、「子どもをよく見ているという自己満足を得ている」だけ、という側面もあるのではないでしょうか。
子どもを「見る」ということは、先回りをして子どもの欲求を察知する ことではなく、子どもの発達を見極める、ということです。
子どもの行動をよく見てその子は今発達のどの過程にあるのかを知り、発達の見通しを立てることです。
「目で事物の存在などをとらえる」「視野に入れる」 という意味の「みる」ではなく、 「観察し」「判断する」という意味の「みる」 なのです。
参考文献:MIMAMORU見守る保育 藤森平司著